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関所が設けられたのは、今から1300年前、蝦夷防備のための前線基地でした。現在の県境付近にあったことが発掘調査で確認されています。
今の関所は、庄内に酒井氏が入部された1622年以降に整備されました。 |
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昭和41年NHK大河ドラマ「源義経」の放映による大人気を受け、兄頼朝の追討を逃れ、京から奥州平泉に向かう義経が、日本海を舟で渡り上陸した事を紹介した碑です。美しい夕陽の名勝としても知られています。 |
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鼠ヶ関マリーナ前にあり、昭和61年、直木賞作家・故村上元三氏の筆によって書かれた石碑です。
当時、建立を記念して村上氏による記念講演が行われました。村上氏は調査の結果、鼠ヶ関が義経上陸の地であることを確信したとお話されています。 |
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瑞芳院の砲弾 |
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慶応4年(明治元年)8月、庄内軍は各方面で戦果を挙げてその武威を天下に誇っていたが、我が鼠ヶ関、小名部、関川の戦線では急迫を告げていた。
先ず鼠ヶ関口の戦況から、8月11日午後1時頃、敵の蒸気船一隻、鼠ヶ関澗の近くから突如大砲を打ちかけてきた。所謂艦砲射撃である。味方はいざご参なれと応戦、一時間ばかりで敵を敗走させた。村の人は突然の砲撃戦に胆を潰したが、敵の弾丸は民家を飛びこして裏山に命中した。 |
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その弾丸の一つが瑞芳院の木の幹にめり込んで、寺への被害は免れたという。その時の砲弾が現在も残っている。 |
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